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2011年01月20日

行雲1月号(その5)をお楽しみ下さい。

如 月 会

津田 貞子
初御空はつみそら四方拝する父をもち吾は育ちし戦の最中さなか
抱き合うて枯れ果てにける芒が原風吹く度にむせびもの言う
八十年を生きて芥となりし物捨てなばいかに楽しからむに
飛鳥仏半跏思惟像千年を越えてこの指右頬をさす
大根干し襖となりて白々といにしえ人の声通りゆく

よしおかひろこ
逆縁のむごき葉書に友を泣く去年こぞの新春にいはる共に在りしを
背をまるめ試練にあがく僕あり今ぞ光を神よいますか
消えまどう友にあかりを直ひた祈る時の不思議に身ゆだね癒やせ
春ぞ来る凛々として背に迫り天の情けのあまねき春来る

久保 成行
爪の先なぜかよう欠ける末梢まで身体の生気届かぬ歳に
 追慕四首
年月は想い出さえも薄るゝに汝なれへの追慕薄ることなし
今の夢おまえとあうて抱きあうて辛抱の幾とし聞かせてやりたい
おまえの雑煮に及びもつかぬがせめて湯気でも箸つけてくれ
四年目で自炊の苦労身についたしずかな雪の元旦の夜

小林多加子
一声に散る球児等はグローブを一つ叩きて守備の身構え
「千曲川」と名付けし封筒便箋を贈られ心ははるけき方へ
吐き出され流されてゆく人の波サンタが歌う「トトロ」「トトロ」と
今年こその会う約束を果たせずに心残りのゆず湯につかる
年末のトイレ拭きつゝ口ずさむ少女の歌う「トイレのうた」を

川  柳
大嵯峨 仁
舌代や閻魔の胃袋糖尿病
お見拭い埃ほこり授かる鰯の頭ず
子が泣いて親爆笑す泣き相撲
〆めこみの男衆みな三歳児
来て御座れ食して御座れ『御座候』
『あかつき』は名こそ惜しめ六年後
*戦前の名スプリンター吉岡隆徳は、陸上競技百mを10秒3(1935)で走り抜けたことから『暁の超特急』の賛辞。今回の人口衛星探査機はネーミングがわるかった。『ムササビ』に改名しては?
posted by いくくる at 05:36| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット文庫(行雲・絵本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月16日

行雲 第128号 (その4)をお楽しみ下さい。

行雲 第128号 (その4)をお楽しみ下さい。
桜 が 丘 句 会


こぼるると言うもうるわしお茶の花       津田 貞子
男前晒すポプラの冬木かな
カリカリと 若さ一筋 富有柿
蔦紅葉ひとはけ魔法の紅を塗り
焼餅地蔵母と来し日も冬の霧

入口に萩の零るゝ休園日               神原 甫
道標は此処より百里木の葉散る
鐘ついて銀杏黄葉の寺に入る
キャンパスに熟柿一つ残しけり
下校児に付いて枯葉の走りけり

山野辺の古墳の向うはいわし雲           八木 静子
思うこと多き日なりしおそき秋
冬日さす田舎家の壁に陀羅尼助
はずみたる子らの声するいもばたけ
乗りかえて行くふる里は霧の中

野路菊の背丈になって香こうをきく          富士 敬
はぜのきや猛暑の記憶紅葉にす
寒冷雨斜しゃに降りおとせ杉木立
足許の自覚欠けたり訃報よむ
柿の葉や散り落ちてなお器量よし

小春日の昼寝にまかす極楽路             久保 成行
枯れ葉ふむおれもふまれて今なんぼ
過ぎし日がせつないほどに大みそか
足萎えが一つの柿を見上げけり
枯れ木立そっと新芽をかくしおり

草紅葉礎石にしのぶ往時かな             小林多加子
駐輪の籠に銀杏の二三片
山茶花や歩く電話の過ぎゆきぬ
一瞬に霰 一瞬に射す陽かな
間一髪セキレイ車道を飛び立ちぬ

雨粒にあわてて戻る枯木立              岡野多江子
新聞に神様包む年の暮
こんちくしょうまた猪にやられたり
冬眠の蛇寝返りし音かしら
落葉焚壁画の鳥けむたそう
posted by いくくる at 17:51| 兵庫 ⛄| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット文庫(行雲・絵本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

行雲1月号(その3)をお楽しみ下さい。

不思議の国・阿波徳島 その5

筆者 行雲  亀井 實

前号まで:@かごめかごめの童謡の謎解きとして「剣山」についてA京都祇園さんの祭神は……ユダヤの神B伊勢神宮をベラ・コチェフスカ女史が参拝C神輿とアークD〜K古代ユダヤと伊勢神宮・天皇家の類似ほか

L さらに奇々怪々と思われるものがある、徳島県美馬市にある白人神社の磐境(イワサカ)と呼ばれる礼拝所である、2000年以上前に祭壇を築いたといわれる75人の宮人の子孫が今もこの神社を守っているとのことで、75人の宮人は、身の清らかさを保つために生涯、肥担をしてはいけないといいます、この磐境(イワサカ)は、古代ユダヤの犠牲の牛を捧げた、燔祭(はんさい)の祭壇そっくりであるという。これはユダヤのレビ族の末裔ではないか。平安京に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燔祭(はんさい)の儀式を行なっていたという。
M 現在でもユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた 「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している。
この「ヒラクティリー」が飛行機爆破行為と間違えられ、大騒ぎしたニュースが最近あったのでご存知の方もあるのでは。また、山伏が吹く「ほら貝」の音は、ユダヤ人の祭りに使われる「ショーファー」という羊の角で作った吹奏器とそっくりである。 
古代ユダヤの祭祀レビ族は、みな白い服装をしていた。非常にゆったりとした和服のような服で、そで口には「リンネ」と呼ばれる房が付いていた。もちろん「ヒラクティリー」も使用していた。彼らの姿は、まさしく神道の神官や修験道の山伏のような姿をしていたのである。
N 日本もユダヤも水や塩で身を清める「みそぎ」の習慣がある。ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には必ず入り口で手を洗い、口をすすぐ。 また、ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入る。ユダヤ人以外の西欧人は、バスタブの中で体を洗う。
O 古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪・黒目の浅黒い肌(褐色)をした人種で、背が低かった。体格は日本人とそっくりであった。
更に、日本人とオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)の男性Y染色体の大きさが同じであることが、パリ大学の教授によって発見された。これは、他には見られない現象だという。
P 日本史上、最大最強の渡来人でありながら、今なお多くの謎に包まれている(秦氏:弓月君」は、昔から多くの研究家によって(ヘブライ系渡来人)ではないかと指摘されている。
秦氏は第15代応神天皇のとき、大陸から渡来してきたのだが、この時、10万もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は大和の葛城に、多くは山城に住んだのだが、雄略天皇(5世紀半ば)の時に、京都の太秦(ウズマサ)の地に定住するようになったという。
秦家は非常に有力な部族で、794年の平安京は秦氏の力によって事実上作られ、仁徳天皇陵のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があったと言われる。
平安京のマークはあのダビデの紋章と言われ、現在の京都の市章はその平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。 ちなみに平安京をヘブライ語に直すと(エル・シャローム)、なすわちヘブライの聖地(エル・サレム)である。名称の酷似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京とよく似ていることが指摘されている。
  この秦氏、京都の太秦、広隆寺、大酒神社(大避神社)もユダヤに満ち溢れているが今回は割愛する。
Q 最後に!! 弘法大師が開いたといわれる四国八十八箇所について
  真言宗の真言は・・神言なりという人もいう、本当に四国八十八箇所は真言宗のためのものか???? 以下の疑問がある。
 イ.空海が作ったお寺は88箇所中、わずか38箇所で残り50箇所は既にあった寺である。真言宗は空海が広めたものであるから、50箇所の寺は真言宗ではなかった。
   現在でも天台宗4箇所、禅宗3箇所、時宗の寺1箇所ある、宗教的に考えても納得できない、他に目的があったのではないか?
 ロ.これら88箇所を回って、わかることは、貞光町にある3里四方の聖地(天皇家の出自の項参照)にある友内山が見えないことである(あるいは剣山)。第1札所は鳴門の霊山寺から西に向かっていくが第10番札所の切幡寺で急に南に転じ海岸のほうに向かう、これ以上西に向かうと3里四方の聖地に近か過ぎるので、このようにしてあるのではないか、ようするに3里四方の聖地をぐるりと回っていることになる。ただ、わずかに 切幡寺と88箇所目の大窪寺の奥の院からわずかに剣山が見えるらしい。切幡寺は幡を切る、ここまでよとなる。
 ハ.昔の太政官道路について、都から土佐に赴任するとき、一番近い吉野川沿いを避け、淡路から阿波に入ると、海岸線を讃岐に回り、土佐に入るコースであった、非常に遠回り、その後、南を通り、日和佐、牟岐、室戸を通過、土佐に入るコースが出来た。この道も昔は海が迫り、大変であったとのこと。吉野川沿いを通ることを許されたのは、土佐に流された土御門上皇が、後に土佐から阿波に迎えられたときにこの吉野川沿いルートを通ってきたことと、南北朝の動乱で土佐に流された護良親王(モリナガ親王)である、いずれも皇族のみである。
   四国、貞光町あたりにある3里四方の聖地を避けた。 なぜか??
 ニ.高野山学習かん頂(じょう)を受けるとき、口伝でこれは深い意味があると言って、金剛界の真言はバ、 胎蔵(タイゾウ)界の真言はア、合わせてバ・アということになっているそうです。 これも暗号ですな。
 しかしこれを逆にするとア・バとなり漢字では阿波となる。
 ホ.また真言宗では印を切るという、これは左手の人差指を隠して印をきる、これは教えない、指ささない、隠すということであるらしい。
   まさに阿波を隠しているではないか。88箇所は聖地 阿波を隠していることになる。
 ヘ.勅願寺が32箇所もある、さらに88箇所以外でも四国には多くの勅願寺が建てられている。ちなみに、西国33箇所では長谷寺のみ、たった1箇所である。
   勅願時は国家鎮護・・・玉体安寧を願うものである、そうであるなら天皇のいる近畿の中につくるべきではないか、
   なぜ、死の国といわれるほど、近年まではほとんどの人に知られていない四国にこのようになぜ多いのか?
   大事な剣山のアークを隠すため、また天皇家の出自を隠すためであるからではないのか?
   天武天皇のころから、大々的に、この作業が始まったと言われる。
―つづく
posted by いくくる at 08:52| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット文庫(行雲・絵本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする