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2011年02月07日

行雲2月号(俳句・川柳)をお楽しみ下さい。

桜が丘句会

勝負事夜に食い込む三日の子             岡野多江子
「売家」と大きく塀に寝正月
買初や鏡に笑みを返しては
風花す七福神のほほえみに
たちのぼる堆肥の湯気の淑気かな

雲水の百の大根干しにけり              神原 甫
枯れ木道狐の嫁入り通り過ぐ
箒目の記るき社の大晦日
足跡の残る砂場の霜柱
掃き寄せし落ち葉吹かれて走りけり

行平で母に似せたる粥を炊く             八木 静子
山茶花の垣根の向うにひと二人
初詣あまたの背なより祝詞聞き
夕映えにうぶ毛光りて白木蓮
音もなく山茶花こぼれし日暮れ道

木枯らしやつまの里訪う亡妻つま連れて         久保 成行
おいぼれの一汁一菜年かわる
小春日や部屋に燦燦陽光ひかり満つ
なにもかも捨てゝゆきたし歳の暮れ
こごえけり洗濯物干す指の先

枯れ葉マークの車に頼る年の暮             小林多加子
武骨なる裸木の傷の癒えし痕
青空を傾けて舞う鳶かな
元旦や十年先のこと思う
松飾る舳先寄せ合う船溜り

床の間や寒波抱いて大晦日               冨士 敬
剪定や拓ひらけて小鳥留まらず
押しきたる寒かんいすわりて頭上晴る
松風しょうふうを幽かそけく聞いて躙にじり口
初漁と筆おおらかに鯛に添え

子は去んで大の字となる老二人             津田 貞子
初灯し老いにし姉の屋敷神
天上のちちははも初御空なり
蝋涙や揺れずにおわす初ともし
お節料理八十路は高級既製品


川  柳

大嵯峨 仁
『立ち上がれ』気勢の人がまず坐り
中国に寄り添い果実山わけす
初詣次なる稼ぎえべっさん
立て烏帽子あみだに被るアルバイト
百円の音たしかめて柏手し
あきカンに小沢菜つめる初仕事
* あきカンは菅首相を揶揄して巷に生まれた新語
小沢菜は野沢菜をもじった

posted by いくくる at 11:17| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネット文庫(行雲・絵本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

行雲2月号(不思議の国・阿波徳島)をお楽しみ下さい。

不思議の国・阿波徳島 その6

筆者 行雲 亀井 實


前号まで:@かごめかごめの童謡の謎解きとして「剣山」についてA京都祇園さんの祭神……ユダヤの神B伊勢神宮をベラ・コチェフスカ女史が参拝C神輿とアークD〜K古代ユダヤと伊勢神宮・天皇家の類似L〜Q古代ユダヤと神社仏閣との類似の数々

2.天皇家の出自(出身地)は阿波である
この説は江戸時代の阿波藩の学者の間で言われてきたことで、明治維新前までに何十冊と本が書かれている。
幕末から明治末期までの人で阿波出身の国学者であった小杉という学者は阿波の国徴古雑抄(ちょうこざつしょう)という分厚い貴重な史科集を編集したが、(阿波の歴史にこれ以上深入りしたら、私の命がなくなる)といって、阿波から東京に帰っていったという、また阿波のことについて研究した多くの人は阿波の国を(もとつ国)といっている。
また明治38年ごろ旧徳島中学の校長を勤めた岡本監輔という人は名神序抄という本の中で(あんずるに、神代の高天原というところは、けだし阿波の国を指して言う)と書いています。
また、ある研究家はある神社の古記録に(阿波の里に国王卑弥呼座す)の記事をみて、耶馬台国の研究に入ったと言われる。
 さて、その根拠とは
@吉野川をさかのぼれば、貞光町あたりに、天孫降臨の地といわれる、3里四方の聖地がある。ここはいんべ神社(忌部)のある所である。             
忌部氏は上古より天皇家の祭祀を取り仕切ってきた部族である。
ずっと昔より、聖地と言われ、天皇家の出身地と言われている。
古い文書では源頼朝が政権をとったとき、麻植氏(おえ)よりのこの聖地安堵の要請に答え、源頼朝はこの聖地を(昔より朝廷の聖地として、重要視してきた歴史あるところを、なんで私が自由にできようか、として、その場所を安堵した)文書が残っている。
吉野川の対岸は紀ノ川で、その上流は吉野川、 そして天皇家の聖地  吉野山がある、丁度、この聖地と吉野山とが対称点となっている。
現在の徳島県から香川県に行くと大坂があり、奈良街道がある、その奈良街道の果てに難波津があるのである。
このように、阿波の地名の多くを近畿に持ってきたのではと言われている。 また、言語学的には、関西弁が徳島へ来た形跡がなく、逆に関西に影響を及ぼしたのではないかとも言われている。
A耶馬台国が剣山の山頂を中心に四国一円に広がっていたのではないか、との説がある。
ただし、これは、現在九州説、畿内説が定着しているので歯牙にもかけられないが、もともと考古学というものは、非常に学説とか、派閥に支配されていると言われる、もうすこし考古学と文献などをバランスよく、検討すべきではないか。 古代の日本は、今言われているよりはるかに進んでいたのではないか? 1世紀に書かれた漢書(かんじょ)に孔子のエピソードとして、孔子は道が行われないことを悼み、渡海して東夷の九夷(日本)に住むことを欲したと書かれ、それはもっともなことだ、なぜなら楽浪海中に礼節を知る倭人がいるからだと倭人の紹介をしている、すなわち、朝鮮半島の沖の海中に倭人がおり、分かれれて百余国をなし、歳時のたびに貢献してくるというと続く、後の文献でも倭の使節は皆、大夫(たいふ)と自称したと書かれている、大夫とは周の官職制度の職制称号の1つである。
このことから当時、日本では周のような封建国家で、幕藩体制のようなものになっていたのではないか? さらに1世紀に記された思想書:論衡(ろんこう)には紀元前11世紀の周朝2代目・成王の時に倭人が暢草(幻覚を伴う薬草)を貢したと記されている。
外交記事における(貢)とは国レベルの貢献交渉のあったことを指す。
孔子の時代から日本に行って住みたいと言ったという文献をもっと重大視すべきではないか。 
小生も邪馬台国に関する本をいくつか読んだが、邪馬台国は方位と距離だけで特定しているといってもよく、魏志倭人伝に書かれている百十数項目にわたる耶馬台国の特徴を完全に無視している、都合の悪いところは、間違って記載しているのだろうとしてカットしているから、信用できない。
魏志倭人伝には、耶馬台国は倭国を参門するに海中州島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周旋5千余里なり、とあり、また、すべての国がみな、海に面し、と書かれ、その地には牛馬虎豹羊、じゃく(カササギ)なしと書かれている。他の文献では海中州島の山の上となっている(大宰府天満宮に所蔵されている国宝の翰苑)。
周旋5千余里は今の距離に直すと約400km(短里:73〜87m)、丁度 四国の大きさである。
奈良県や、九州には馬や牛の骨が出てきている。これで失格である。
特に奈良県は全く、海に面していない(翰苑)。(これだけでも失格)
九州説、大和説、その他の説も完璧なものは無し、いろいろあって興味が尽きない、それもまた良いのでは。
B阿波は昔、委の国、伊の国、夷の国などと呼ばれていた、古い文献に(府中はいにしえの夷の都なり)との記録もある。
西暦57年ごろ、中国、漢の国に朝献して、金印をもらっているが、これには、漢の委の国王(委奴国王)と彫られている 決して、倭となっていない、これが、阿波の国ではなかったか???
しかし委奴国王、いと:伊都国王との説もあるが、奴(の)が省略されていることから委国(委の国)がやはり有力か?また日本の中国や、朝鮮の書物に、・・日本もと伊の国、委の国 またの名は
倭国となっている。すなわち、委の国から倭国に変わったことになる。また国王のことを、阿波の君(アハキミ)と称していた。
―つづく―
posted by いくくる at 08:43| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット文庫(行雲・絵本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

行雲1月号(その5)をお楽しみ下さい。

あれこれを(おじん的に)3 

筆者 行雲 久保 成行

§「迷」

清水寺の貫主が書いた今年の字は「暑」。わたしは「迷」としたい。
「国外、最低でも県外」「腹案がある」「学べば学ぶにつけて」自分が切った期限の5月に突然「県内移設」で米国と同意、沖縄に同意を迫った。迷走につぐ迷走の責任をとって首相辞任と同時に政界引退を表明した。
 「言葉が軽くあってはならない」が、「国益に資する政治を行わせていたゞくために」引退を撤回。さらに菅首相の現政権を「民主党の原点を今こそ思い出して行動していかねばならない」と批判。営々ときずかれた日米同盟を粗略にし、中、露をつけいれさせた原因をつくった張本人がよくもまあ!ぬけぬけと。
 つぎの総選挙はいつおこなわれるかわからないが、この人がまた当選するようでは北海道の選挙民は余程のアホかいなとおもう、今日の民主党があるのも小沢のおかげと、鳩山はかっての盟友菅から小沢に鞍替えして、しきりによいしょする。小沢の政治にはつねに権力と蓄財がつきまとう。その実現のためには、いかに民心に迎合するかであって「志」がない。政策に一貫性がない。彼が幹事長時代につくられた、小沢マニフェストこと、民主党マニフェストはおいしいことばかり。「子ども手当て」「高速道路無料化」「農家への個別補償」。その財源はホレホレワンワン、無駄をさがせば財源はいくらでも掘り出せる。
 しかし、来年度予算案で示されたのは、2年連続で税収を上回る国債(借金)を、発行しなければならないという異常事態である。新聞各社の論評はそろって、マニフェストをみなおしバラマキをやめろである
◇ 高速道路無料化のねらいは自家用車族への迎合であって、車を利用できない通勤、通学、老人たちへの利便を、はたまた、将来の物流を見据えての交通政策でもない。自家用車族にとって高速道路の無料化ほどすばらしいことはない。しかし、燃料資源の効率的利用をかんがえるならば、短距離移動には車を、遠距離移動には大量輸送の鉄道、海上交通機関の利用推進は誰でももわかる理屈だ。
高速道路は利用する人にとっては便利このうえもない。利用しない人にとっては無用の長物でしかない。高速道路料金は受益者(利用者)負担であらねばならない。勿論その料金にはメンテナンス費用もふくまれてであるから高額でも仕方がない。
道路料金を無料すなわち道路税収入はゼロで、メンテナンス費用は国庫負担? ゼニもないのに何故そんな大盤振る舞いしてまで民心を買わねばならないのか。明石海峡大橋を眺めてペンキぬりやら毎日の維持保修に費用がなんぼかかる? 考えるだけでゾッーとする。

§裏には裏がある権力闘争
 ウイキリークス創設者は言う「真実を報せるのが民主主義の原則であり正義である」と。識者は「適用によっては偽りの正義である」と。
 胡錦濤主席、温家宝首相は共産党傘下のエリート集団、共産主義青年団の出身である。胡錦濤の後継者を選ぶ第17回党大会(19年10月)では、中国通の誰もが胡の息のかかった共青団出身の李克強抜擢と、110%信じていた。ふたを開けてみれば下馬評にもあがらなかった、上海閥・太子党の習金平であった。
 *中国共産党のエリート集団として@太子党・親が元幹部の子弟達、身許がしっかりしている。A共産主義青年団。頭が超ええ連中。B上海閥。の3グループが競合
 何故、習金平? 権力闘争に胡・温は敗れたからである。あのケ小平ですら、元政治局員の元老たちには手を焼いたぐらいだから、おそらく元老たちが反対したのではと憶測しきりであった。事情がはっきりしたのはウイキリークスの情報からである。
 なにかにつけて政府の政策と対立し独自色を発揮する上海閥と、その大ボス江沢民を倒すために胡・温は上海市の汚職摘発に乗り出した。摘発は通常検察局の所管であるが、胡・温直属の狙われたら最後、言い訳一切無用、泣く子も黙る「党中央規律検査委員会」が、心臓の中に手をつっ込むような手荒さで強制捜査。これ以上捜査がすすめば上海閥は壊滅する。閥温存のために、上海閥のエース上海市トップの陳良宇・市党委員会書記(市長はその下部組織)が人身御供としてお縄を頂戴し、事を納めた経緯があった。
 江沢民の懐刀といわれ上海閥の中核人物・曾慶紅は捜査進行中には、国家副主席として胡・温に同調し、「腐敗との戦い」を公に宣言していた。この曾慶紅が李克強阻止のため、元老を説いてまわった結果が、習金平擁立の真相のようだ。

 さすが諸葛孔明が生まれた国だ。これで一件落着かとおもえばサにあらず、まだ裏がある。小沢は権力を握ることで財を成した。日本では政治家はそれをしてはならない。中国は蓄財は官であれ民であれ、それが立身出世の目的であって批難される理由は毛頭ない。ただえげつなくやったか、だけは問われる
 中国は大陸国家であると同時に、最近は米国と海洋国家として覇を競いあい、海軍力増強に余念がない。軍艦建造で儲かっているのは造船企業ではない。国防予算の何割かは利権に化けて、政府要人はもとより、高級軍人も関与し、その蓄財はとどまるところをしらない。
 現在の中国の繁栄をささえているのは、都市戸籍を得られない地方からの出稼ぎ農工民である。地方戸籍の農工民は上海で働きながら呼び寄せた子弟を、上海市の学校へ通わすことができない。上海戸籍が得られないからである。
 格差は広がる一方である。軍備増強のスピードをおとして、浮いた国家予算を格差是正の民生にまわし、一刻も早く「和諧」(調和)社会を目指したいが、胡・温の力をもってしても、利権がらみの国防予算をそう簡単にカットできない。それを行なうための裏ワザとして胡・温は習をひきいれた。結果は?である。

 中国企業にとって北朝鮮の地下資源開発はきわめておいしい事業である。しかし、一私企業では歯が立たない。利権がからんだ国家のお墨付き企業でなければできない。北の担当者も高く売りつけて金将軍様のおぼえをめでたくしたい。双方の利権がからんで大変ややこしい。これが現在の中国と北との隠れた一側面である。
中国では国家事業なのに利権が必ずからむ。そのために外部からの参入、つまり国際協調・協力を拒み、なにごともコストおかまいなしの親方五星紅旗方式で独自で遂行する。今は金余りでいいが、そのほころびは近い将来必ずおとずれる。
これが中国のかかえる弱点なのである。


余  白
明けましておめでとうございます。本年も『行雲』引き続きご愛読お願いもうしあげます。
つくづくと、政治というものを考えさせてくれた旧年でした。さて、本年はどうなりますやら。国内外の政治やら経済もピョンピョン跳ね回りはせぬかと心配もありますが、どうやら経済だけは春以降はなんとか上向きになるとか。政治は一寸先は闇、まったくわかりませんな。

エッセイ、短歌、俳句、川柳、投稿お待ちしております。
お問い合わせ:発行者・久保成行 ☎(078)994−5209
posted by いくくる at 09:43| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット文庫(行雲・絵本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする