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2012年09月23日

艀暮らしの思い出 本に

◇6歳から10年間 徳山さん、自費出版
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艀での生活を細やかにつづった徳山さん(神戸市中央区のメリケンパークで)
 大阪市西区の主婦徳山ひで子さん(69)が6歳から約10年間、神戸港の艀(はしけ)で暮らした体験をつづった「水上の家族」(四六判、123ページ)を自費出版した。波音の響く寝床や「除夜の鐘」代わりに聞いた汽笛、力仕事を手伝う母の姿など日常の思い出を当時の写真もちりばめてまとめた。徳山さんは「神戸港の歴史に、艀が息づくことにつながればうれしい」と話している。(福本雅俊)
 艀は港湾などで輸送に使われ、主にエンジンがなく、300〜500トンの荷物が積める船。1970年頃には神戸港に2000隻を超える艀がひしめき合っていた。港や沖合に停泊した船と陸の間で荷物を運び、生活の場でもあった。
 64年8月の調査では、推計約600世帯が「水上生活」していたが、66年施行の港湾労働法で、艀内に居住させないよう事業主に努力義務が課され、第1次石油危機が始まった73年頃から減少していったという。
 徳山さんが家族8人で暮らした艀は、前部に荷物を載せ、後部に屋根の付いた3畳程度の空間があった。そこで食事をし、くつろいだ。かまどや洗い場もあり、全員がそろうとひざをつき合わせるほどの狭さだったという。「陸での生活にあこがれもしたが、家族の笑顔が近くて楽しかった」と振り返る。そこから下層に下りる階段があり、布団を出した押し入れも寝床にして眠った。船底で布団にくるまっていると、板1枚を隔てて子守歌のように響く「チャプン、チャプン」という波音が心地よかった。
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1956年頃の神戸港の様子。ひしめく艀の上で、子どもらが遊ぶ様子がうかがわれる(徳山さん提供)
 出港時の汽笛や勇壮なドラの音、父や母を呼ぶ妹らの声。沖合の係船用ブイに停泊した船から仕事があると、弟と一緒にブイの上に乗ろうと挑戦したり、青い海の向こうに広がる神戸の街並みを眺めたりするのが楽しみだった。船頭の父の手伝いに追われ、荷物を風雨から守るために船上を覆う2メートルほどの板を、風にあおられて回転しそうになりながら懸命に運ぶ母の姿も目に焼き付いている。
 徳山さんは「荷物を積むと船が深く沈み込むので、海面より下で眠っていた。波の音を聞くと『家』にいる安心感があった」と当時の水上生活を振り返る。
 こうした艀での暮らしを記録に残したいと思い立ち、昨年、大阪文学学校(大阪市中央区)で文章の書き方を学び、7月に「澤文子」のペンネームで書き上げた。徳山さんは「こんな生活もあったんだと知ってほしい。本を通し、当時の姿を少しでも目に浮かべてもらえれば」と話している。
 「水上の家族」は、神戸市立中央図書館(神戸市中央区)で、10月中にも貸し出しや閲覧できる予定。
(2012年9月23日 読売新聞)
posted by いくくる at 09:38| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神戸もよう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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